June 1, 2012
workinguilty & holyholiday

——でもさ、俺。学校、行かなきゃなんねえし」

 自分は一体何を言っているのか、と思った。この薄笑いを浮かべた奇妙な人物の申し出を断るのに、俺は律儀に理由まで添えて必死になっている。

「ふうん……——学校、学校ね」

 薄笑いは明後日の方向にスカートを翻し、しみじみと言った。まるで遠い記憶を懐かしむかのように。

「それは何だい?」

 こいつは一体何の冗談か。それともやっぱり頭がイカレちまっているという噂は本当だったのか。

 俺と同じ制服を着たそいつは、至って普通の調子で問いかけてくる。

「つまりそれはこういうことかい? どうも君は学校というところに行かないとマズい。だから僕の頼みは聞き入れられない——、と?」

 さっきから、どうもこいつの話し方は遠まわしというか、はっきりとしない。

 分かりきったことをさも今初めて聞いたとトボケているかのようで、どうにも好きにはなれない。

「そう、そうだよ。分かってくれたんなら」

「いや、まだ何も分かってはいない」

 おまけにしつこい。奴は質問を続けた。

「学校とは何だ? 君は何のためにそこへ行く。まさか僕の頼みを断るために行くのではあるまい」

 答えてやる義理は微塵もない。

 このまま放って逃げてしまえばそれで良いのだろうが、それではなんとなく負けた気がするし、後味が悪い。

「学校ってのは、勉強するところだよ」

「勉強? 勉強というのは——

 言動に反して、奴の整った顔立ちは言い換えれば美人だし、ぱっちりとした目には惹き込まれるような綺麗さがあった。

 なおも繰り返されるこの不躾な質問がなければ、少なくとも悪い感情は誰しも抱かないはずだろう。

……大人になるための訓練、みたいなもんだよ。俺と同じくらいの子どもがたくさん集まって、そこでいろいろ……。とにかく、いろいろ大人に教わるんだ」

「ほう……。それで、君は一体どうなるんだい?」

「は?」

 俺は一瞬、目眩を感じた。奴の言っている意味が本格的に分からなかった。

「大人になるための訓練とやらを積んで、その後はどうなるのかを聞いたんだ。目的はその大人になることだというのは予想がつく。だが、大人になって、君はどうする?」

「いや、多分、働くんだと思うけどさ」

「働く、というのは一度聞いたことがある。たしかこうだ。他人を助けることで自分を助けてもらう権利を得ること、だったかな?」

 働くというのは、自分の時間を金に変えることだと思う。こいつの答えはどうにもあやふやで……。合っているようでかなり間違っているような、ちょっと判別しづらいところだ。

 ただ少なくとも、俺以外の最低一人が、すでにこいつの質問攻めの被害にあっていたということが分かった。

 だったらこいつに、他人に無闇に質問するなという教えも授けておいて欲しかった。

「で、それは大人じゃないと出来ないことなのかね?」

「いや、バイトとか。子どもでも別に、出来ることは出来るんだが」

「では何故それをしない」

「別に怠けてるわけじゃねえって! 今は働くより、勉強しておく方が得だってだけで」

「逆に、今勉強しておかないと損をする、と」

「まぁ絶対、ってわけじゃねえけど。大人はそう言うよな。将来のためにならないぞ、とかなんとか」

 薄笑いの質問が止む。考え込んでいる様子だった。

 俺は俺で、はじめ何の話をしていたんだか混乱しかけていた。

 奴は納得してくれたのか、それとも諦めてくれたのか、しばらく黙り込んでいる。

「君は、何のために大人になって働きたいんだい?」

 しかし残念ながら、どちらでもなかったようだ。

「また質問か。もういいだろ何だって」

「何でもは良くないだろう。君自身の問題だ」

 そう言われてみればそうだ。理屈は分かってる。だけど俺は一度だって働く理由を考えてみただろうか。

「まぁ……。なんていうか、人の役に立ちたいっていうか、そういうのはあるかもな。誰でも」

「役に立てば必ず金が貰えるのかい?」

「大体はそうだろ。まぁ、そうじゃない場合だってあるかもしんねーけど……」

「そうじゃなかったとしたら?」

「それでも俺らフツーの奴は働くしかないんだよ。なにより金がなきゃ生きていけないんだ。学校行って勉強するのも、なるべく金がたくさん貰える方法を知るためだ」

「僕からすれば、君たちはまるで何かの罰を受けているかのようだ」

「……かもな」

 何かの罰――。

 ここまでの薄笑いの言葉にあった、言いようのない曖昧さが消えてなくなったようだった。

 何故、俺はこんな毎日を送っているのか。

 訊かれても答えられないのは、考えたことがなかったからではなく、考えたくなかったからではないのか。

「見てみろ。空が赤い」

 公園の遊具に出来た影はすっかり伸びきっていた。

 夕日を見上げる薄笑いの顔は、赤い陽に照らされ輪郭がぼやけている。

「知ってるっての。お前じゃないんだから……。それは夕焼けって言って――」

「知っている? 君は本当に夕焼けを知っているか? この夕焼けの赤さを、君は本当に知っていたかい?」

「あ? ああ……」

 ――知らなかった、かもしれない。

 ここのところ見たものと言えば、教室の机か黒板か、日の落ちた帰り道のアスファルトくらいだった。誰かに見るなと言われたわけでもないが、こうしてまじまじと夕日を見ることなんてなかっただろう。

「これは君に倣うとすれば……。夕日が赤くたって何の金にもならない、といったところかな?」

「人の役にも立たねーしな」

 奴も冗談を言うのか。ちょっとムカつく皮肉だが……。

「いい笑顔だ。きっとその笑顔も、誰かの役に立つ日が来るのだろうね」

 俺の顔は笑っていたらしい。

「お前のその薄笑いも、役に立ったことがあるのか?」

「これかい? 前に無表情では気味が悪いと言っていただろう?」

 ああ、そういうことか。

「……それは、俺のせいだったのか」

「そうだね。君のため、ということになるだろうね」

 俺は、大きく肩を揺らしてため息をついた。

「わかったよ。手伝う。お前の頼みごとなんだからな。手伝ってやる」

 長い影が少し震える。なんとなく笑っているようにも見えた。

 奴が振り返って、茜色に染まった頬が翳る。

「そうか。良かった。ではとりあえず、次の日曜、私とデートとやらをしてもらおうか」

 そうして奴は、どうしたって無表情にしか見えない不気味な笑顔を浮かべるのだった。

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